コウノトリ育む農法(6月2日)

 2005年(平成17年)9月、秋篠宮殿下・妃殿下をお招きして、豊岡市でコウノトリの放鳥が行われたことは報道で知っていたが、そこに至るまでには、1965年の人工飼育から数えても40年以上の苦闘が費やされていたことは、現地に行って私も初めて知りました。
 渡り鳥であるコウノトリは江戸時代までは、北海道を除く全国に生息していた。「松にとまる鶴」(本当の鶴は松にはとまれません)としても描かれてきました。しかし、明治期の食料・剥製としての乱獲、第二次大戦期の油をとるための松の木の伐採、高度成長期の農薬の散布による餌の減少により、完全にコウノトリの生活の場が失われてしまった。そして、1965年時点では、最後の生息地として、豊岡盆地に12羽が残るだけとなりました。
 人工飼育を試み、卵もいくつも生まれましたが、残留農薬などの影響で、1つも雛にかえることはありませんでした。1971年、ついに日本の野生のコウノトリは絶滅してしまいました。コウノトリが生きていくためには、餌となるドジョウやカエルがいる田んぼや小川、巣の作れる安全な高い木が必要です。
 1985年、渡り鳥の生息地であるロシアから3組のつがいを貰い受け、1989年(平成元年)はじめて繁殖に成功しました。その後毎年雛が生まれ、2002年(平成14年)8月には大陸から1羽コウノトリが飛来し、3年ほど生息していました。羽化したコウノトリが100羽を超えたところで、2005年放鳥が行われたのです。放鳥されたコウノトリは、3~4日かけて、舞鶴・若狭・大坂や松江・出雲などに飛来しましたが、豊岡に帰ると再び豊岡を離れることはありませんでした。豊岡以外にコウノトリの棲めるところはなかったのです。
 コウノトリの棲める自然環境は、人間にとっても人間性を育む良好な環境に違いありません。豊岡では、多くの市民とともに、無農薬稲作の推進など自然の生命力を高める運動を行っていました。労力もかかり、行政から補助金を受けても価格が高いものとならざるを得ません。しかし、安心です。