高秀前市長を悼む(9月1日)

 高秀秀信氏の逝去を知ったのは、亡くなられてから一時間半後のことであった。正直言って、突然のことに驚きました。
 12年間の市長時代を通して、多くの議員がそれぞれの思い出があると思います。
 平成5年の晩秋の日曜日、私は、同僚議員二人とともに野毛山の市長公舎を訪ねました。当時、まだ横浜では行われていなかった乳幼児の医療費無料化を実施してもらいたく、直談判のために高秀市長を訪ねたのでした。
 私は、横浜市議会の本会議で、平成4年9月、乳幼児医療費の無料化を訴えさせてもらいました。不思議なことに、それまで、本会議場で乳幼児の医療費の無料化が本格的に叫ばれたことはなかったのです。
 しかし、今までやってこなかったということもあったのか、その後も、市当局の反応は芳しくはありませんでした。
 そこで私は、これは、市長に直接ひざ詰めで、お話するしかないと決め、市長公舎を休みの日に訪ねたのでした。
 高秀氏は、風邪をひかれているので30分ぐらいならという約束でしたが、ソファーに身を預けながら、2時間も熱心に私どもの話を聞いてくださいました。
 もちろん私どもの話を肯定的に聞いてくれたわけではありません。当時、川崎市が先行的に、乳幼児の医療費の無料化を表明されていましたが、数日後の国際会議場で、高秀氏は、すぐ後ろにいた私に振り向いて、「川崎市長にあったが、彼は何も分かってない」と乳幼児医療費無料化を否定的に言っておりました。
 その後も、乳幼児の医療費の無料化を粘り強く訴えてきましたが、平成7年1月、まず0歳児の無料化が実現しました。所得制限はあるものの、いまでは4歳児までが無料化となっています。
 晩秋の市長公舎での激論が懐かしい思い出となっております。